その言葉は正しくないと嘲笑することのナンセンスさ

僕が言われたわけではありませんが、SNSで「正しい丁寧語はこうあるべき」的発信で、嘲笑しながら盛り上がっているコメント欄を目にしました。正直、自分のことではないにしろ、あまりいい気持ちはしません。

そもそも、これだけ長く日本人をやっていても、「正しい言葉」とは何なのか、時々わからなくなることがあります。
文法?言い回し?それとも使う場面?いったい何をもって正しいというのでしょうか?これは、僕としてはとても難しい問題です。

おそらく、一日の終りに吐き出すだけ吐き出すように書きなぐるこのブログなんかは、正しい言葉を使ってはいないでしょう。誤字脱字のオンパレードであったとしても、自分ですら読み直しをしないくらいのブログです。仕方ありません。そもそも正しい言葉で書こうという気すらないので、そこをツッコまれても「そうですよね」としか思わないのですが、それにしても「正しい日本語」ってなんだろう?と、思うわけです。

もっとも、こんな僕も一応書籍を執筆していますので、そういった場面ではなるべく正しい言葉を使おうと心がけてはいます。いますが、そうした文章にそれほどの自信を持っていません。ほぼ感覚です。
それにどちらかといえば、「そんな丁寧語の使いかたはおかしい」と言われところで、内容と気持ちが伝わればいいじゃないかと思う方です。そう思う背景としては、時代に合わせて言葉は作られていくものだし、どんどん形を変えていくのが言葉だと思っているからでもあります。

そう考えると、いったい、いつのどの言葉使いを取り上げて「それは正しくない」と言えるのか・・・?これは、本当に難しいですね。

もちろん僕自身、言葉なんてデタラメでいいと言っているのではありませんが、正しい日本語があったとして果たして日常で100%完璧な言葉だけを発する人がどれだけいるのだろうか?と思うことはあります。

実際「そんな丁寧語ねーよ」「そういう言い方が俺は嫌いなんだよ」と勇ましく吠えるオジサン達のSNSが、毎度毎度誤字だらけだったりすると、「まあ、そんなもんだよね」と苦笑してしまいます。いやいや、他人のこと言う前に、そっちを先に直しましょうと(笑)

それはさておき、言葉に限らず日本人は、とにかく「正しい」ことにこだわる人種なのかもしれないと思うことがあります。しかしながら、意外とその「正しさ」には明確な基準がないことが多いとも思っています。

以前、どこかで「日本人の多くが英語を話せないのは、アメリカ人と対等レベルの完璧な英語を身につけようとするから。」と聞いたことがあります。言葉というのは本来、自分の意志疎通をするための道具であって、それができれば言葉としての役目を果たす。これこそが、言葉の原点であるはずです。そうですよね?どんなに正しくても、回りくどくてわかりにくい文章なんて山ほどあります。まず伝わるかどうかが大切であって、そのための言葉なんじゃないかな、と思うわけです。

なので僕が思うのは、「十分に伝わる内容」であるはずの他人の言葉を取り上げて、「それは文法がおかしいからダメな言葉」といちいち発信することはナンセンスではないかということ。同時にそれを言ってしまった時点で、自らの視野の狭さを露呈してしまっているのでは?ということです。

言葉もまた、個性なのですから。そうですよね?僕はそう思います。

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